【全文掲載】男性の健康と幸福を語り合う「男塾」第3回《マインドフルネスの目指すもの》#04
心のギアチェンジ ~マインドフルネス認知療法より~
次の図。では何を目指しているのか?という話です。
マインドフルネスが目指すものは何なのかというと、この説明にもちょっと書きましたが、「あることモード」と言われているものだとされています。
「あることモード」というのは、あるがままを感じている、ただそれだけの状態ということです、我々が普段仕事をしている時は、「することモード」だと言われています。
これは、8週間のグループ療法で「マインドフルネス認知療法」という治療法—我々はこういうものを病院で実践していたりするんですが—その中で言われている「心のギアチェンジ」というもの。マインドフルネスとは心のギアチェンジをする方法なんだということです。
何から何にチェンジするのか、「することモードからあることモード」です。
「することモード」というのは問題解決的に頭を「がーっ」と使って計算なんかして、論理的な思考をしてる状態。「あることモード」というのはそうじゃない、「ここにいるだけであなた幸せでしょ」「ここにいるだけで気持ちいいでしょ」と、そういうような状態ですね。
だから「することモード」は自動的、概念的。経験、過去と未来が重要。嫌なことは避ける。悪戦苦闘して何とか解決しようとする。考えたことが現実だと思い込んでいる、…と、まあいろいろだから疲れてしまう。
「あることモード」というのは、1つ1つの動作に、あるいは1つ1つの体験に意図的に気づいている。直接経験している。頭を通して、思考を通してじゃなくて「直接経験している」「現在の瞬間にとどまっている」「回避しないで近づいていく」。そして「悪戦苦闘するんじゃなくて、そのままにしておく」。
これをアクセプトというんですが、そのままにしておける。で、考えていることと現実というのは別だということに気付いている。
そして自分の中でエネルギーを回復させていくような、そういう自分に栄養を与えてくれるような状態なんだ、この何もしないでいるだけでいいというこの「あることモード」を目指しているんだということになるんですが、「あることモード」というのはね、目指すものがない状態なんですよね。
目指すものがなくてここにいるだけでいいという状態を目指すのが、マインドフルネスということで、かなり逆説的なものにはなるんですが、そういうことなんだということになります。
日本文化とマインドフルネス
最後に日本文化とマインドフルネスについてちょっとご説明して、私の話は終わりにしたいと思います。
茶の湯セラピーというのを京都でやっておられる藤村道代先生という方から聞いたお話なのですが、茶の湯セラピーというのは、鬱とか不安症とかいろんなことで困っている人たちが、定期的に茶の湯に通って、お点前(てまえ)をしてもらって、少しお話をしたりしているうちに、だんだん良くなっていく。それをセラピーとしてやってみようという試みのようです。
この藤村先生のおっしゃるところでは、茶の湯というのは様々な作法があるけれども、その作法が大事なんじゃなくて、その形を通して伝えられる心、「思い」と言っていいかと思います。「思い」が大事なんだという風におっしゃっていました。でも、形がなくてはその心は伝えられないんだ、これは非常に重要ですよね。
マインドフルネスも先ほどのウォーキングとか瞑想といった形があって、マインドフルネスの体験が可能になる。
形だけになって、心がなくなっちゃだめですよね。この「マインドフルネスが目指しているbeing モード」というのは、茶の湯の心でもあるんですよという風におっしゃっていて、ああ、なるほどなと思いました。
日本文化には「形から入って心に至る」という言葉があります。今の藤村先生がおっしゃったことそのままですよね、日本文化の伝統では、形を伝えることで心を伝えるんだ、ということになります。
ただ、「形より入り、形より出ずる」って言葉もあるんですね。能の守破離(しゅ・は・り)という言葉なんかはそういうことを意味しているわけです。
人間の本質に開かれていく、ずっと練習を重ねていくということですね。マインドフルネスも練習をとにかく重ねていく、重ねていく、運動を覚える時と同じです。この重ねていくことが大事で、そうするともう形はなくても心が実現できるようになってくるわけですよね。形は必要なくなるわけです。
そうすると、形が必要なくなっても、そこでbeingモードあることモードがあるという状態は、形はもうないので何か伝えたいものというのはないわけなんですが、無心の状態っていうのが残るということになるわけですよね。
だからbeingモードというのは、無心と言われている状態と重なってくるんじゃないか。で、ここが日本文化の面白いところなんですが、ここで終わらないんですね。
日本文化というのはここで終わらないで、例えば能を一つ例に取り上げてみると、無心というのは、上の図で言うと、最初、子供の身体というのは何もまだ稽古をしていない、生の元のままですね。それに対してこの技とか、いろんな稽古を積み重ねていくわけです。
そうすると、いろんな稽古を積み重ねて、積み重ねていくと、もうその型も必要なくなって、無心の状態になってくる、でもその無心の状態になったところからが能の本番だ、と。この無心になった状態で、いかに舞や歌いを展開していくかというところが重要なんです。
この型、というのがあるということですね、これ型は動きの軌跡だと。
これ、西平先生という哲学者の方の本から取ってきた文章なんですが、これはある思いを伝えるのが型なんだということですよね、で、無心というのは型が消えて、それでまあ絶対的な「空」とか「無」とかというものが、演者の身体に憑依して現れる、そういう瞬間が、そういう状態が訪れるんだ。これは演者と観客が一体になってそういう状態が現れるんだということですよね。ある能の舞台を演じているとですね。
で、そこででも終わらないで、離見の見(りけんのけん)という目の使い方をする。これはさっきの注意の分割ですね、注意の分割をしながら、自分も含めてその場全体を見ていく。
そして自分の後ろ姿を見るんだ、と。そうすると、自分の身体を通して、その能の思いが表現されてきている。あるいはその絶対的な無というのは、体を通して現れてこようとして、その体の動きというのも見えてくるんだ、体が勝手に動いていこうとしているところが見えてくるんだと。
そこで主体性を失わないのが重要なんだ、というのがね、能の面白いところのようなんですね。そこまで見たうえで、主体性を失わずに、まあ曲ですね.。
曲にのって舞ったり歌ったりしていくのが能で、そうすると展開するように展開して時を経て成就していくということが起こっていくというのは、この曲っていうのはこの息遣いと関係していて、その息遣いを使いながら、息遣いを合わせながら展開していって、そして最後は見てる人たちがみんな一体になって、あるテーマを体験して癒やされていくというのが、能の進め方なんだ、と。
この無心というのを非常にうまく使って、その前にはマインドフルネスがまずあって、無心が生じ、それを使いこなしていくんだというのが日本文化の中にどうもあるようなんですね。
これから我々がこのウィズコロナ時代を生き抜いていくためには、まずマインドフルネスを使ってリアルを捉えよう、そこで終わりにしないでその先どうなっていくのかということを見極めていこうということですね。
日本文化の中にそういう方法があるよ、ということで、また見直してみるといいんじゃないかというのが、私が今日お伝えしたかったことになります。では今日、私のお話はこのくらいにしたいと思います。
VOL.5に続く。
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