遅咲きの偉人たちは、やっぱりテストステロンが高かった!

堀江メソッド2022年12月7日

「冒険」や「狩猟」、そして「社会性」のホルモンであるテストステロンは、特に起業家や経営者には必須のホルモンです。男性は20代をピークに徐々に低下していく傾向にありますが、実際、著名経営者の多くは20代で起業しています。

 一方で、年齢を重ねてから起業し、成功を収めた人も多く存在します。今回はそんな“遅咲き”の起業家のテストステロンについて考えてみます。

■カーネル・サンダース(1890〜1980年)

ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者、カーネル・サンダースは高齢起業家の代表格です。彼は貧しい家庭に生まれ、少年の頃から実に40種の職業を経験しました。

転機は40歳の頃。経営していたガソリンスタンドの客のアドバイスで、敷地の一角に「サンダース・カフェ」というレストランを開きました。この店が繁盛し、45歳のときにはケンタッキー州知事から表彰を受けるほどになりました。50歳の頃には150席ほどのレストランにまで成長しましたが、このときの目玉商品が圧力釜をつかったフライドチキンでした。

このフライドチキンをKFCとしてフランチャイズ化したのは62歳の頃。その3年後、本店のカフェの通りは新しい高速道路開通の影響で通行量が激減。彼はフランチャイズビジネスに舵を切る決断をしました。65歳での大決断は、テストステロンが高くなくてはできなかった偉業と言えます。

■伊能忠敬(1745〜1818年)

江戸時代の商人・天文学者・地理学者の伊能忠敬は、1800年(55歳)から1816年(71歳)まで、17年をかけて日本全国を測量し、『大日本海輿地全図』を完成させました。

生まれは千葉の九十九里でしたが、18歳で佐原村(現在の香取市佐原)の酒造家に婿養子として入り、経営の手腕を発揮。倹約、信用をモットーに30年かけて家業を再建しました。若い頃からテストステロンが高かったと思われますが、驚くべきは隠居生活に入った45歳から後です。彼は暦学(天文学)に強く引かれ、ここから測量家としてのキャリアが始まります。

独学で暦学のベースを作った忠敬は50歳で江戸に渡り、19歳年下の暦学者である高橋至時の弟子となりました。目的達成のためには年下でも関係なく師事できるのはテストステロンの高さを示しています。

その後の偉業は前述の通りです。忠敬は73歳で亡くなりましたが、彼のテストステロンは晩年まで高かったと思われます。

【一般社団法人1UP学会】 男性医療に関する最新医療技術や情報の啓発・広報活動を行う医療専門団体。テストステロン補充療法による専門外来を東京都千代田区の日比谷国際クリニック(http://www.hibiyakokusai.or.jp)で実施している。

■堀江メソッド

今回紹介した2人以外にも、たくさんの遅咲きの偉人がいます。共通して言えるのは、年齢に関係なく常に目標を持ち続けていたことです。

ビジネスマンの中には、定年退職で「生きる目的を失ってしまった」という人が多くいます。すると、テストステロンも急激に下がってしまい、男性更年期障害になってしまう可能性が高まります。そうならないためにも、打ち込める趣味を見つけたり、経験を生かした再就職をするなど、自ら積極的に環境を作ることが大切です。




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この記事の監修者

堀江 重郎

堀江 重郎

1960年生まれ。東京大学医学部卒業。日米で医師免許を取得。国立がんセンター中央病院、杏林大学講師を経て帝京大学医学部主任教授に就任し、日本初の男性更年期外来を開設。2012年に順天堂大学医学部教授に就任。日本抗加齢医学会理事、日本Men's Health医学会 理事長を務める。『ホルモン力が人生を変える』他著書多数。テレビ番組の出演、監修も多数。


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